前を向け

贔屓しか見えな、かった。

今年の病み、今年のうちに

贔屓に心臓握られがち。自ら明け渡したとも言えるが、こちらとら好きで一喜一憂しているわけではない。

 

オタクの前にただの人間。先が見えなくて不安になるのはしょっちゅう。

「好き」行きすぎると暴力に変わる。自分の手綱は自分で引け。好きだから会いに行きたい。お芝居が好きだから観たい。面白かったから手紙を書いて伝えたい。プラスの感情を伴った行動ならまだしも、マイナスの感情で冷静さを欠いた行動はマジでろくなことにならん。昼ドラより泥沼。

出来ることをやらないのは悪、行動しないのは悪。そう思っていたけれど。あえて、何もせず静観するという選択肢が今ようやく可視化された。おっっせえよマジで。

 

嘘と似ている。

相手を傷つける本音と、相手を思って言う嘘。きっと後者の方が正しい。100人に対して冷酷無慈悲な応対をしたとしても、好きな相手1人くらいはお砂糖で優しく対応したい。だって好きな人でしょ。嘘でも幸せになってほしいし、なんなら好かれたいじゃん。極論。

 

役者とファンだから、かろうじて成り立っている関係。だから現場毎に感想の手紙を送りつけても、迷惑がられないどころか、全て読んでくれるしましてや喜んでくれる。表面上は。

これが一般人相手で、毎週好意的な手紙を送りつけようものならストーカーでお縄。オタクという立場を与えられ大義名分を得た時点でまず感謝するべき。

贔屓を架空の綺麗な偶像に仕立て上げていないか。自分の感情のみを基準に押し付けていないか。客観視、距離感。相手は人間。存在する人間である。

 

 

マジで人生で一番苦しんで落ち込んだ今年でした。神も仏もねーわ。今世界で一番私が不幸だわ!ってところまで落ちたので、これ以上のどん底はこの先の人生であり得ないです。良かったな未来の私!!!

贔屓と幸せになりたい。それだけなのにな。読んでくださった方、幸せになれよ。絶対だぞ。